丹波篠山市の挑戦から見えた!地域医療とデジタル健康管理(PHR)の知られざる現実
1. 導入
「夜間や休日に急に体調が崩れたら、どこに行けばいいのか」「自分の持病や過去の健診データを、もっとわかりやすく管理できないか」——日々の暮らしの中で、医療や健康管理に関する不安や疑問を感じたことがある方は多いのではないでしょうか。
兵庫県丹波篠山市では現在、市民の日常的な健康管理を支える「パーソナルヘルスレコード(PHR)」の実証事業と、持続可能な地域医療体制の再編に向けた積極的な議論が進められています。
自治体、医療機関、大学研究者が一体となって進めるこの取り組みからは、医療のデジタル化や地域医療の現場における「意外な現実」と「実践的な解決策」が見えてきました。本記事では、丹波篠山市の挑戦から得られた5つの重要なインパクトをわかりやすく解き明かします。
2. ポイント1 「治す救急」から「支える救急」へ——医療崩壊を防ぐ意識改革と適切なナビゲーション
医師不足や医療従事者の負担増加が全国的な課題となる中、地域医療のあり方は従来の「あらゆる病気を何でも治す救急」から「地域全体で命と暮らしを支える救急」へとシフトしています。
限られた医療資源を守り、真に緊急を要する患者に対応するためには、医療側の体制整備だけでなく、市民側の受診行動の変容(不要不急の「コンビニ受診」を控えること等)が欠かせません。丹波篠山市の議論でも、適切な救急相談窓口(大人向けの#7119や小児夜間救急相談#8000)の活用や市民の協力の必要性が強く強調されています。
特に成人向けの救急安心センター事業(#7119)については、市民への周知を徹底するため、救急車の車体側面に大きく「#7119」と掲示する広報運動を展開するなど、現場の医療スタッフを救うための積極的な啓発が行われています。
「なんだかちょっと後でもいいようなこととかは翌日にコンビニ受診を控えるというようなことだったり、できるだけ健康に意識を持ってもらって予防していくっていうのはやっぱり大事なのかなとは思います」
<考察>
地域医療の維持は、単に病院のシステムや体制を変えるだけでは達成できません。市民一人ひとりが「救急医療を守る一員」としての意識を持ち、電話相談ナビなどを通じて適切なタイミングで受診行動をとることが、地域全体の医療崩壊を防ぐ最大の要となります。
3. ポイント2 「100%安全なシステム」は存在しない!?セキュリティの現実と直結型データ共有
相次ぐ個人情報漏洩のニュースにより、「医療データをデジタル化して本当に大丈夫なのか」と不安を抱く読者も少なくありません。
丹波篠山市のPHR事業に関わる専門家は、大企業であってもサイバー攻撃のリスクを完全にゼロにすることはできないという「セキュリティのリアルな現実」を真摯に受け止めています。その上で、今回のPHR(ヘルスケアパスポート等)では、データを不特定多数に開放するのではなく、「患者本人と主治医(医療機関)との間での直接的な共有」に絞るアクセス制御を行うことで、漏洩リスクを最小限に抑える構造をとっています。
「今回のPHR事業自体が安全なのかと言われたときに、100%安全はないです。……本来であれば、本人と小島医院というようなやり取りになりますので、そこについては非常に留意した形でデータをつなげていく」
<考察>
「100%の安全」が証明されるまでデジタル化を立ち止まらせるのではなく、リスクの現実を正しく認識した上で、本人と特定のかかりつけ医の間だけに限定して安全に共有する「現実的な運用ルール」を構築することこそが、自治体DXを安全に進める鍵となります。
4. ポイント3 マイナポータルは数か月遅れ?PHRハブが実現する「即時性ライフログ」の価値
医療データのデジタル連携において見落とされがちなのが「データの反映速度」です。国が推進するマイナポータル経由の特定健診データなどは、システムの構造上、反映までに2〜3か月(場合によってはそれ以上)のタイムラグが生じます。
そこで丹波篠山市の実証事業では、民間アプリと「PHRハブ」というデータ連携基盤を活用し、日々の健康状態(ライフログ)をリアルタイムに共有できる仕組みを導入しています。
ここで重要なのは、このPHRハブが膨大な個人データを永久に蓄積し続ける巨大データベースではなく、必要な時に必要な情報だけが安全に通過する「データの通り道(通る位置)」として設計されている点です。これにより、データの一元管理に伴う漏洩リスクを抑えつつ、情報が混ざり合って収集がつかなくなる「データ闇鍋状態」を防いでいます。
マイナポータルとPHRハブの比較
| 項目 | マイナポータル連携 | PHRハブ(アプリ等連携) |
| データ種類 | 特定健診結果、過去の処方・投薬情報 | 日々のライフログ(基本5項目)、直近データ |
| 反映スピード | 2〜3か月遅れ(またはそれ以上) | 即座(リアルタイム) |
| 主な用途 | 過去の医療・健診履歴の蓄積と確認 | 日常の健康管理、診察時の即時情報確認 |
PHRハブでは、異なる機関やアプリ間でも共通理解を可能にするため、基本となる5項目(体重、歩数、血圧、体温、血中酸素飽和度:SpO2)をライフログの標準データとして整理しています。どの医療従事者が見ても正しく解釈できる共通言語化を整えることで、質の高い日常診療をサポートします。
<考察>
公的なビッグデータ基盤(マイナポータル)の「蓄積性」と、民間PHRハブの「即時性」という互いの強みを補完し合う設計こそが、現場の医師や患者が本当に使える医療デジタル化の理想形と言えます。
5. ポイント4 シニアの「スマホ保有率60%」の壁——デジタルと紙(つながり手帳)のハイブリッド戦略
デジタル健康管理を進める上で大きな課題となるのが、高齢者のスマートフォン利用状況です。全体のスマホ保有率は約60%(60代では80%以上と推定)とされる一方、80代以上の要介護者などにスマートフォン操作を強制することは現実的ではありません。
丹波篠山市では、誰一人取り残さないために以下のような柔軟な「二段階アプローチ(ハイブリッド戦略)」をとっています。
- アクティブシニア層へのデジタル普及と丁寧なハンズオン支援 60代〜70代前半を中心としたシニア層に対しては、講座やフォーラムの場を活用した直接支援を実施。例えば、青山学園で開催された「高齢者大学」では、参加者約100名のうち、想定を大きく上回る約50名ものシニアが終了後のサポートブースに残ってアプリのインストール支援を希望しました。シニア層の潜在的な関心の高さに対し、丁寧な接点を作ることが有効であることを示しています。
- 要介護・後期高齢者層への紙メディア併用 スマホ操作が難しい高齢者に対しては、これまで現場で使われてきた紙ベースの「つながり手帳」を継続して併用。医療・介護関係者が紙とデジタルの双方から情報を連携できる体制を維持しています。
<考察>
先進的なデジタル技術を一律に強制するのではなく、市民の世代やデジタルリテラシーに応じた「デジタル×アナログ」の併用運用を用意することこそが、地方自治体におけるDXをスムーズに根付かせるための現実的な解策です。
6. ポイント5 「人生会議(ACP)」のデジタル化——最期まで自分らしく生きるための意思共有
丹波篠山市のPHR構築における最も先駆的な取り組みの一つが、「人生会議(ADVANCE CARE PLANNING:ACP)」や「私の大事な3ノート」といった人生の最終段階における意思表示のデジタル共有です。
基本アプリである「ヘルスケアパスポート」に加え、実証事業ではACPの意思入力・共有に対応した「健康日記」アプリなどの連携検証が行われています。
救急搬送の現場では、本人が延命措置を望んでいない場合(緩和ケアの希望など)であっても、事前に関係者間で意思が共有されていないために、望まない心臓マッサージや人工呼吸器の装着が行われてしまうケースが存在します。意思表示をあらかじめデジタル化しておくことで、搬送先や医療・介護現場の端末(クリニックのPC等)から閲覧権限に基づいて直接アクセス・確認できるようになり、患者本人が搬送時にスマートフォンを持ち合わせていない事態にも対応できます。
「高齢でもう自分はもう心臓マッサージとか人工呼吸器とかに繋いだりとかっていう、そこまではもう望まないっていうような、その意思表示をしっかりされている……それが意思表示としてもあれば、もう自分はもう延命措置としてもらわずにもう家族と一緒に家の中でちょっとゆっくり休みの最後に向かいたい」
また、一人暮らしの高齢者や認知症患者が増加する中、遠隔地に住む家族からの同意取得をいかにデジタルでスムーズに行うかといった、実証現場ならではの課題解決に向けた検討も進められています。
<考察>
PHRは単なる数値データの記録にとどまらず、患者本人の生き方や最期への意向という「心と意思」を医療従事者に安全に届ける架け橋としての真価を発揮します。
7. 結論
丹波篠山市、篠山市医師会、そして京都大学が連携して進めるAMED(国立研究開発法人日本医療研究開発機構)の研究事業は、令和8年度(2026年度)までの実証期間を経て、令和9〜10年度からの自治体単独による持続可能な自走運用を目指しています。
自走化に向け、市では単に公金を投入し続けるのではなく、市民がPHRサービスに対して許容できる対価(年額500円〜600円程度の利用料の是非など)のアンケート調査を行っているほか、生活習慣病予防や医療費抑制効果のデータ検証を重なることで、財政面・事業面での持続可能性をシビアに見極めています。
「100%安全なシステムを待つのではなく適切にアクセス管理する」「マイナポータルの遅延を補うPHRハブを活用する」「紙とアプリを併用する」「最期の意思(ACP)まで端末越しに共有する」といった丹波篠山市のリアルな知見は、全国の自治体や医療現場にとっても貴重な道標となっています。
テクノロジーがどれほど進化しても、医療と健康管理の中心にいるのは、市民一人ひとりです。
「あなた自身や家族の健康データ、そして『最期にどうありたいか』という大切な意思を、今日からどのように管理し、信頼できる医療機関と共有していきますか?」
