私たちの「しつけ観」をアップデートするために
「児童虐待なんて、自分とは無縁の遠い世界の出来事だ」。
そう感じている方は少なくないかもしれません。
しかし、法務省が全国の18歳から39歳を対象に実施した大規模なアンケートと聞き取り調査の結果は、私たちのそんな認識を根底から覆すものでした。
調査によれば、実は回答者の「約5人に1人(21.7%)」が、18歳までに何らかの虐待被害を経験しているという実態が浮かび上がっています。
今、私たちが当たり前だと思っている「しつけ」のあり方が、知らず知らずのうちに子どもたちの心に深い傷を残している可能性はないでしょうか。
統計データに隠された「声」を拾い上げると、そこには私たちがこれまで目を背けてきた、現代社会の盲点が見えてきます。
最も多いのは「直接的な暴力」ではないという事実
「虐待」と聞くと、殴る蹴るといった身体的な暴力を想像しがちです。
しかし、調査結果が示した「最も多い被害」は意外なものでした。
回答の中で最も高い割合を占めたのは、自分以外の家族の間で行われる暴力を目撃する「間接的暴力」(13.7%)でした。
これは心理的暴力(10.4%)や身体的暴力(5.3%)を上回る数字です。
ここには性別による傾向の違いも見て取れます。男子は身体的暴力を受ける割合が女子より高く、一方で女子は間接的暴力や心理的暴力を経験する割合が高いというデータが出ています。「自分は直接殴られていないから大丈夫」という理屈は、子どもたちの前では通用しません。聞き取り調査では、次のような切実な声が寄せられています。
「自分への暴力より、他の家族に対する暴力の方が怖かった」
たとえ自分が直接攻撃されていなくても、目の前で大切な家族が傷つくのを目撃することは、深刻な精神的恐怖を子どもに植え付けます。それは家庭という本来「安全であるべき場所」を、一瞬にして逃げ場のない戦場へと変えてしまうのです。
心の傷を深く残す「心理的暴力」の支配力
目に見える痣(あざ)はいつか消えますが、言葉で刻まれた傷は大人になっても消えることがありません。統計的な重回帰分析の結果、今の生き方に最も強い影響を及ぼしているのは、身体的な暴力ではなく「心理的暴力」であることが明らかになりました。
「死ね」「産まなければよかった」といった存在否定の言葉、あるいは兄弟との極端な差別。これらは子どもの自己肯定感を根底から破壊します。トラウマ研究の専門家であるクルーズやエッセンも指摘するように、心理的暴力こそが不適切な養育における「中核的(コア)」な問題なのです。
心理的暴力の恐ろしさは、周囲だけでなく本人ですら、それが「虐待」であると気づきにくい点にあります。
外傷がないために「厳しい教育」という言葉で隠蔽されやすく、周囲の介入が遅れることで被害が慢性化するリスクを孕んでいるのです。
「学校」は助けを求める場所ではない?
子どもたちが被害に遭ったとき、どこに助けを求めたかったのか。
調査からは、被害の種類によって求める先が異なる傾向が見えてきました。
身体的暴力の場合は「家族(加害者以外のメンバー)」、ネグレクトや性的暴力の場合は「専門の相談窓口」を求める声が目立ちます。
しかし、注目すべきは、いずれの被害においても「学校の先生」を求める比率が極めて低かった(3〜7%程度)という事実です。
なぜ、子どもたちは先生を頼らないのでしょうか。
定性調査の分析からは、そこにある「盲点」が見えてきます。
「家庭内の問題を学校に持ち込むべきではない(恥である)」という強いタブー感、そして「相談したことが親にバレれば、家庭内での状況がさらに悪化する」という切実な恐怖です。
学校が子どもたちにとって、必ずしも「逃げ込めるシェルター」として機能しきれていない現状が浮き彫りになっています。
8割以上が容認する「理由があれば叩いてもいい」という罠
日本社会には、今なお「愛の鞭」を肯定する空気が色濃く残っています。アンケート結果によると、実に82.9%の人が「しかる理由がはっきりしていれば、ある程度叩いても構わない」と回答しています。
背景には「子どもは欲望のままに行動するため、高圧的な態度が必要だ」「痛みを知れば他者への暴力が抑制される」といった、暴力による社会化を正当化する論理があります。
しかし、ここには重要な「サバイバーのインサイト(当事者の視点)」が隠されています。
統計的に見ると、実際に暴力の被害を経験し、その影響を強く感じている人ほど、暴力によるしつけを「絶対にダメ」と否定する傾向が有意に強いのです。
暴力の本当の痛みと、その後の人生への破壊的な影響を知る人々こそが、暴力を正当化する論理の脆さを知っているのです。
回復の鍵は「事情をわきまえた証人」の存在
過酷な虐待を生き抜き、今日に至ることができた人々には共通点がありました。それは、心理学者のアリス・ミラーが提唱した「事情をわきまえた証人(Knowing Witness)」の存在です。
回復した事例の多くには、祖父母や近隣の住民など、子どもの苦しみを理解し、味方になってくれた「他者」が存在していました。聞き取り調査では、次のような証言があります。
「そこに相談に行ったり逃げに行ったりすることができたので、他にサポートを求める必要もなかった」
たとえ親が暴力を振るっていても、たった一人でも「あなたは悪くない」と信じ、その事実を認めてくれる人がいる。その存在が、子どもにとって絶望の淵で踏みとどまるための、唯一の生存の糧になるのです。
私たちは「何もしない第三者」を卒業できるか
今回の調査データは、虐待が決して「特殊な親」による「特別な事件」ではないことを示しています。それは、私たちの日常のすぐ隣にあり、私たちの「沈黙」によって支えられている現実です。
調査では、家族の中に暴力を目撃しながら「見て見ぬふりをする第三者」がいかに多いかも浮き彫りになりました。しかし、裏を返せば、私たちが「何もしない第三者」であることをやめ、誰かの「証人」になることができれば、救われる命があるということです。
もし今日、隣の家から子どもの泣き声が聞こえてきたら、あるいは知り合いの子どもの様子に違和感を覚えたら。
あなたはそれを「家庭のしつけ」だと思って通り過ぎますか?
それとも、誰かの「証人」になる勇気を持てますか?
私たちが眼差しを変えること。それが、次世代へと続く負の連鎖を断ち切るための、最初の一歩になるはずです。
