「自己有用感」が子どもと地域を変える
——先進地域に学ぶ4つの逆転の発想
兵庫県南あわじ市であった「人権同和研究会」にて
1. 導入:私たちが信じ込んできた「正しさ」への問いかけ
「不登校の子どもは一日も早く学校へ戻さなければならない」 「阪神・淡路大震災を知らない世代の教員には、当時の命の重みを語り継ぐことは難しい」 「教育の質を高めるには、指導力ある教員の熱意と個人のスキルに頼るしかない」
教育や地域支援の現場において、私たちはこうした考えを疑いようのない「正しさ」として信じ込んできたのではないでしょうか。しかし、こうした思い込みに基づいた介入や指導が、かえって子どもたちの心を閉ざさせ、支援者や教員を孤立と疲弊に追い込んでいるケースは少なくありません。
今、兵庫県内の先進的な地域現場では、こうした従来の常識を鮮やかに覆す「逆転の発想」によって、驚くべき成果が上がっています。
大人の意図を排して「変えようとしない」居場所づくり、未経験の教員が地域の痕跡から命を語り継ぐ防災教育、個人の熱意に依存しない教育カリキュラムの共通化、そして学習の前にまず役割を与える関わり方——。
本記事では、洲本市、芦屋市、南あわじ市で行われている洗練された実践から、現場のリアルな知見と「直感に反する本質」を紐解いていきます。
2. Point 1:変えようとしない姿勢が生む「安心感」——仕掛けず、待ち、寄り添う居場所づくり
兵庫県洲本市の中心市街地、商店街の一角に立つ築100年超の古民家。畳と縁側があり、子どもたちが「ただいま」と自然に帰ってこられる“おばあちゃんの家”のような空間、それが洲本こども第三の居場所「みらいへ」です。洲本市内における早期欠席児童数が100人を超える中、学校復帰のみをゴールにするのではなく、地域の中に「安心してつながり続けられる拠点」をつくる挑戦が続いています。
ここで実践されているのは、従来の支援観を覆す「関わりの作法」です。
「大人が教室に戻そうとする意図を子どもは敏感に察する。変えようとせず横に座る姿勢が安心を生む。」
不登校の理由は無気力、不安、家庭環境、発達特性など様々で、子ども自身も言語化できないことが少なくありません。大人側が「指導しよう」「変化させよう」と意図を持って介入しようとすると、子どもはその警戒心から支援を拒絶してしまいます。「みらいへ」では、正面に向かい合って指導するのではなく、同じ空間で「横に座る」距離感を徹底。何かを無理に聞き出したり教えようとしたりせず、ただそこに寄り添い、子どもが自ら心を開くのを待つのです。
さらにユニークなのは、ボランティアやスタッフの関わり方です。高校生やスタッフの幼い子どもが同席する空間で、大人たちは「特別な支援者・被支援者」という境界線をあえて引きません。「ボランティアをして」と求めるのではなく、「ここで一緒に暮らして」と伝え、自然な生活共同体を築いているのです。
指導者と支援対象という一方的な構図を解体し、ありのままの存在が肯定される空間をつくること。この揺るぎない安心感の土台があって初めて、当初は笑顔のなかった子どもが表情を取り戻し、やがて「将来はみらいへで働きたい」「高校へ進みたい」と自らの意思で未来の夢を語り始めるのです。
3. Point 2:「未経験だから語れない」を覆す——震災30年目からの命の継承
阪神・淡路大震災から30年以上が経過した芦屋市立浜風小学校では、教職員も子どもも震災を直接経験していない「未経験世代」が大半を占めるようになっています。「体験していない自分が震災や命の重みを教えられるのだろうか」という教員側の強い不安は、多くの教育現場が直面する大きな壁です。
しかし、同校はこの壁を「資料の発掘と協働研究」という組織的なプロセスによって克服しました。
教員たちは校内に眠る過去の日誌や記録を掘り起こし、体育館に残る約30センチの傾斜や、沈下した校舎を下から掘って持ち上げた「ジャッキアップの痕跡」を写真やiPadを用いて検証。自分たちが日々過ごす学校空間そのものが「震災遺構」である事実を再発見したのです。
さらに、震災当時2年生で亡くなった王子更紗(おうじ さらさ)さんが残した文房具「お道具箱」や、藤子・F・不二雄氏から当時の児童へ送られた「ドラえもんからの手紙」といった日常に根ざした教材を活用しました。「ドラえもんからの手紙」は、震災直後に「のび太くんは水くみをしているのかな」と案じた子どもたちが送った手紙に対し、22世紀の科学者や技術者が力を合わせて地震を恐れなくする未来像を描き、支え合いの希望を提示した返信です。
遠い過去の惨事としてではなく、「かつてこの学校に通っていた友達のストーリー」として受け止めることで、子どもたちの学びは単なる「怖かった」という感想を超え、自分事としての共感へと変わっていきました。研修の中で送られた次の言葉が、教員たちの意識改革を決定づけました。
「語られたことを聞いて感じて、次の世代へ継ぐことは必ずできる」
被害の悲惨さや恐怖だけを強調する防災教育は、時に子どもを萎縮させます。校内の痕跡や生きた資料から受け取り、聞いて感じたことを次へ渡す——このアプローチによって、震災未経験の教員たちが「自分たちも防災学習の担い手になれる」と自信を持ち、子どもたちの中に未来志向で「命を守り、支え合う」力を育むことに成功しています。
4. Point 3:「共通化」は画一化ではない——個人依存を脱却する組織的仕組み化
南あわじ市では、道徳教育の教科化・強化に伴い、部落差別をはじめとする人権固有の課題が希薄化・埋没する構造的リスクに対応するため、小1から中3までの9年間を見通した人権教育の制度設計を行いました。中学校では「中1: 私とあなたの人権」「中2: 人権史・部落差別」「中3: 結婚差別」と発達段階に応じた系統的な深化を図っています。
一般的に「カリキュラムの共通化」と聞くと、教員の個性を奪う「画一化」や「詰め込み」と誤解されがちです。しかし、南あわじ市が目指したのはその真逆でした。
「共通化は画一化ではない。社会モデルの視点を共有しつつ、個人依存を避けた継続可能な仕組みをつくる。」
特定の「スーパーティーチャー」が持つ個人の熱意やスキルに依存する教育は、その教員が異動すれば途絶えてしまいます。南あわじ市では、教育委員会・校長会・南あわじ市人権教育協議会(南人協)が役割を分担し、準備段階から現場に伴走する手厚い支援体制を構築しました。
共通化された指導計画と教材をベースに、指導案に対する丁寧な赤字添削や市全体での授業研究公開サイクルを回すことで、経験の浅い若手教員も「何を深く考えさせるべきか」という視点が明確になり、安心して授業に向き合えるようになります。結果として「ただ授業をこなす」状態から「子どもと本気で向き合う」姿勢への意識変容が起きました。
さらに、実践記録や指導案をポータルサイトでデジタルアーカイブ化し、3年ごとにテーマを見直すPDCAサイクルを循環させることで、個人の才能に頼らない「組織的かつ持続可能な人権教育」を実現しているのです。
5. Point 4:学習の前に「役職」と「自己有用感」を育てる
洲本市「みらいへ」の取り組みには、学力保障や学習支援の面でも逆転の発想が見られます。不登校や学習の遅れがある子どもに対し、一律の詰め込みや無理な勉強の強制は行いません。その代わりに導入されているのが、子どもの状態に合わせて自分の意思で選択できる「5つの学習コース」です。
- ゆっくりコース: 指定時間座って過ごす(読書・着席)
- コツコツコース: 宿題・課題を終えて自由へ
- のびのびコース: 50種メニューから選択する自学ノート
- ぐんぐんコース: 高学年向け目標達成(月1項目習得)
- 博士ちゃんコース: 特定の卓越した関心を探求
どのコースを選んでも、基本となるのは「10分×学年」の時間、同じ空間で座って過ごすことです。好きな関心を深める「博士ちゃんコース」から、ただ座って読書をする「ゆっくりコース」まで、本人のペースが徹底的に尊重されます。
そして、この学習プログラム以上に重要なのが、学習の前段階として「役割(役職)」を与え、「自己有用感」を育てるプロセスです。
「みらいへ」の夕食時、重い料理の運搬は難しくても、「コップ5杯に同じ量のお茶を注ぐ」という作業なら担える子どもがいます。その子は「僕はお茶係」と自信に満ちた表情で役割を果たします。
学習を無理強いする前に、まず小さな役割を果たして周囲から「ありがとう」と感謝される体験を積ませること。この「自分は誰かの役に立っている」という誇り(自己有用感)こそが心に安心の土台をつくり、結果として自発的に机に向かう意欲や、学校へ向かうエネルギーを根底から引き出すメカニズムになっているのです。
6. 結び:未来へ目を向ける問いかけと要約
本記事で取り上げた先進的な実践には、これからの社会的イノベーションを読み解くための共通する本質が含まれています。
- 変えようとしない支援: 大人の指導意図を捨て、横に座る姿勢が安心の土台をつくる(洲本市「みらいへ」)
- 当事者性を超えた継承: 校内の痕跡や身近な教材化を通じ、未経験者でも「聞いて感じて継ぐ」未来志向の学びが生まれる(芦屋市浜風小)
- 仕組みによる持続可能性: 共通化は画一化ではなく、組織的伴走によって個人依存を脱却する基盤となる(南あわじ市)
- 自己有用感からの自律: 学習の前に「小さな役割」と感謝の体験を渡すことが、自律的な意欲を引き出す(洲本市「みらいへ」)
学校教育や福祉の現場に限らず、企業における人財育成や組織づくり、地域社会の人間関係においても、私たちはつい「相手を正しく導こう」「指導して変えよう」とする大人の都合や焦りを押し付けてしまいがちです。
しかし、本当に人が育ち、自立し、次世代へ未来をつないでいくために必要なのは、相手のありのままを承認する「安心できる土台」と、特定個人の熱意に頼らない「持続可能な仕組み」を整えることではないでしょうか。
私たちが「良かれと思って」行っている指導や支援、あるいは日常のコミュニケーションは、知らず知らずのうちに相手の安心を奪い、選択肢を狭めてはいないでしょうか?
相手を変えようとする手を一度緩め、信頼して任せる土台をつくること——その小さな逆転の発想こそが、子どもたち、そして私たちの地域の未来を大きくひらく鍵となるはずです。


