7月の視察

議場モニターや市民へ政治の参加などについての視察

雲南市は丹波篠山に似た山の中にある町

同じような課題を抱えておられ、全国的な課題に向き合っていく必要があります。

目の前のことを大切に、日々前向きに取り組んでいきたいと思います。

6月の視察

大阪府茨木市のおにクルの講演会へ

茨木市長の講演会「日々誰かと出会い何かが起こる」~「おにクル」から広がるまちづくり~】

本講演では、茨木市の複合施設「オニクル」を中心とした事例をもとに、公共施設の開発と運営に関する課題と成功要因について、多角的な視点から紹介・考察が行われた。

① 公共施設開発におけるリスクと成功要因

成功要因として、オニクルでは市民を巻き込んだ丁寧なプロセス、明確なデザイン・コンセプト、職員の高い意識がプロジェクトを支えた。

課題・リスクとして、「物価リスク(建設中の資材高騰等)」と「政治リスク(首長交代等による方針転換)」が指摘された。

これらのリスク回避のために、「市民参加」や「市議会との連携」、「ステルスリーダーシップ(表に出ない市長の支援)」といったプロセス重視の姿勢が重要であると強調された。

② オニクルの設計・機能と市民の幸福

オニクルは、図書館、ホール、子育て支援、プラネタリウムなど多様な機能を併せ持つ文化・子育て複合施設。

年間来館者数300万人を超え、グッドデザイン賞など多数の賞を受賞。

設計段階から市民参加とワークショップを重ね、「子どもの声が聞こえる空間づくり」や「縦の道」などユニークな設計が特徴。

単なる機能の寄せ集めではなく、「育てる広場」や「サードプレイス」など、市民の豊かさ・幸福を重視する哲学に基づいて整備された。

③ 市民参加と共創の手法

市長自らが関与した「百人会議」など、市民の多様な声を丁寧に拾い上げたプロセスが紹介された。

建設前には実験的広場「イバラボ」で、スケートボードや焚火、マルシェなどを実施。これにより「使いこなされる施設」への基盤を築いた。

共創推進課など柔軟な行政の体制も、運営上のカギとなった。

④ 市民協働と施設の活用状況

年間768件以上のイベントが開催され、多くは市民自らが運営。

「オニクルキャンプ」や「高校生と行う花火実験」など、ユニークな事例が紹介された。

道路の一時閉鎖によるイベント活用、駅前再整備と連携したまちづくりの視点も紹介され、公共空間の再定義が進んでいる様子が伺えた。

3. 講演を通しての学び・所感

本講演では、ハード整備の成功が「丁寧なプロセス」「市民との協働」「理念とデザインの融合」に支えられていることが、改めて確認された。また、これらの手法が、単なる建物整備にとどまらず、市民の幸福やまちのアイデンティティの再構築につながっている点は、非常に示唆に富んでいた。

今後の公共施設整備やまちづくりにおいても、「市民との共創」「行政の柔軟な関与」「持続可能性と偶然性(セレンディピティ)」といった視点を意識して取り組んでいく必要性を強く感じた。

街を創る、まちを活性化せることは、市と市民共同で考えていくことが必要であり、いかに市民がそこに興味を持つかの仕掛けが大切であり、近隣の先進的な取り組みの現状を広く調査していきたい。

階段で座って読める画期的なアイデアも市民から。

亡き母の大切にしていた言葉・・・

「罪を憎んで人を憎まず」の意味

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉は
 単なる表層的な意味だけでなく、人間社会の複雑さや、倫理、道徳、さらには法的な側面
 にも深く関わる教えです。

1. 人間性の理解と区別

この言葉の根底にあるのは、人間は不完全な存在であり、誰もが過ちを犯しうるという深い洞察です。罪を犯した人であっても、その人自身の存在価値や尊厳を否定するのではなく、その人が行った「行為」と「存在」を明確に区別します。

・行為としての「罪」
 許されない、あるいは改善されるべき明確な悪や間違い。これは厳しく糾弾され、
 場合によっては法的に裁かれるべきものです。
・存在としての「人」
 その行為を行った主体であり、感情や理性、そして更生の可能性を秘めた個人。
 その人自身の価値は、一つの罪によって完全に失われるものではないという考え方です。  
 この区別がなければ、社会は過ちを犯した者を徹底的に排除する方向に進み、復帰の機会 
 を奪いかねません。

2. 許しと更生の機会

 この言葉は、単に「憎むな」という消極的な意味合いに留まりません。むしろ、過ちを犯 
 した者への許しや、更生の機会を与えることの重要性を示唆しています。
・復讐心からの脱却
  罪を憎まず人を憎む態度は、往々にして復讐心や憎悪の連鎖を生み出します。この言葉
  は、そうした負の感情に囚われることなく、より建設的な解決策を模索することの必要
  性を説いています。 
・社会復帰の促進
  罪を犯した人が社会に戻るためには、周囲の理解や支援が不可欠です。罪だけを憎み、人
  を憎まない姿勢は、彼らが過去の過ちから学び、再び社会の一員として貢献できる道を
  開く可能性を秘めています。
  もちろん、これは無条件に全てを許すというわけではありません。罪の重さや、被害者
  の感情、社会の安全といった要素も考慮に入れる必要があります。しかし、根本的なス
  タンスとして、最終的な目標は個人の排除ではなく、問題の解決と個人の更生にあると
  いう視点を提供してくれます。

3. 法と倫理の狭間で
 この言葉は、法的な側面と倫理的な側面の双方に影響を与えます。
・法廷での適用: 裁判において、犯罪者を裁く際には、罪の重さを量ると同時に、その人
  の背景や更生の可能性が考慮されることがあります。これは、「罪を憎んで人を憎ま  
  ず」の精神が反映されていると言えるでしょう。 
・個人の道徳観: 日常生活においても、他人が過ちを犯した際に、その行為自体は非難し
  つつも、相手の人格全体を否定しないという態度は、人間関係を円滑にし、より建設的
  な対話を生み出す基盤となります。

「罪を憎んで人を憎まず」は、感情的な側面だけでなく、理性的な判断と、より良い社会を築くための指針となる言葉です。

 それは、人間が持つ弱さと強さの両方を理解し、過ちを犯した者に対しても、最終的には

希望と再生の可能性を見出すことの重要性を教えてくれます。

私は常にどんな人でも信じてしまう傾向があり、もちろん何度も騙されてきました。

しかし母はいつも「罪を憎んで人を憎まず」と言い続けるのでした。

さらに「騙すより騙される人になりなさい」・・・

はい、あなたの思いは私の根底にあり、人の短所は見ず長所のみ見るようにしています。

そうすると人は伸びていくのです。

すごいことだと思います。

子どもたちもそうですが、長所を認める、それは簡単なようでむつかしいことです。

しかしそれで伸びていくことを実感すれば・・・それは本当の意味で素敵です。

丹波篠山城のバリアフリーと中学校の部活地域移行

6月の水無月会議にて、

①誰もが気軽に訪れ、安心して過ごせる、ユニバーサルデザインのまち丹波篠山を目指して

 ・丹波篠山城 バリアフリー整備の具体策について

 ・案内表示と情報発信について

 ・教育現場のユニバーサルツーリズム体験について

②地域活動における体験格差の課題について

  部活動の地域移行と教育の公共性を問う

 ・部活動の教育的意義と今後の体制について

 ・地域間、経済面での体験格差の対応について

 ・指導体制と安全管理・周知について

 ・教育の公共性と今後の部活動の在り方について

 以上を、教育長や市長に提言しています。

  詳しくはYouTubeをご覧ください。

  https://youtu.be/x3w7zCQlCrE?si=VTdRQRCPxzT0nVBQ

 

   遠慮なくご意見ください。 よろしくお願いします。

地域の運動発達の依頼教室

6月は毎年かなり多い運動発達教室の依頼があります。まだ月末に3件あります。

お隣の丹波市の2歳の子たちのための運動発達講座 ルミネ2階にて(丹波医療センター)

これは2歳児の丹波篠山での運動発達の親子遊び教室

丹波篠山市内の小学校からの親子活動、発育発達遊びの講座

そんな感じで、たくさんの依頼を法人で受け、私の代わりに今後行ってくれる人を育成しています。

さて、来週は24日丹波市の1歳児運動発達教室と、27日の丹波篠山の幼稚園の運動発達教室

29日の日曜日は、三田市で講演会となかなか忙しい・・・

議員と兼業及び議員と会計年度任用職員との兼職

さまざまなご意見を頂きましたので、こちらに記載しております。

私、桐村は平成28年より丹波篠山市で一般社団法人SSKTという法人を立ち上げています。

基本は営利目的ではない団体です。

法人の主たる業務は・・・

・発達・発育に関する支援全般、スポーツ指導、からだの使い方支援、整体を伴う身体の改善

 上記に伴う講演会や勉強会及び地域教室の実施

・ドイツライプチヒ大学スポーツ科学部のスポーツ科学の講演や実演

 学校やさまざまなところで講演や実技、また授業を行っています。

・児童発達支援施設を、丹波篠山市に2施設、丹波市に1施設運営

・スポーツサポートセンターえがお(SSCE)を丹波市に開設して、障がい者や障がい児に対してリハビリ、健康体操やスポーツも含めて、障がい者への総合的な支援(丹波市より受託)

・年数回講演会を実施し、丹波圏域の方への発達支援の啓発に努めています。

  講演は北は名古屋市、南は鹿児島県にまでお声をかけていただいて行っています。

・発達支援コーチという資格の研修会を実施しており、年間数回研修会を実施します。

  おおむねこんな感じですが、こういった特性上いろんなところから依頼が来ます。

 具体的には・・・

  小学校や幼稚園の運動教室、地域の未就学児の運動発達教室、0歳児・1歳児・2歳児と分けた運動発達の教室、地域のPTAの親子遊び教室、地域の子育てサークルからの依頼、特別支援学校や養護学校の講師、障がい者スポーツセンターや児童発達支援施設の講師、障がい者スポーツの教室、障がい者のリハビリなどの生活訓練事業の受託(丹波市)、まだありますが、特に講演会の事業が全国から多く入ってきます。

こういった講演会や受託事業を、平成28年から受けてかれこれ9年目になります。

(※議員になって増えたのではなく、議員になって逆に減っています。ここがポイントです。)

一般的には、議員の兼業禁止(請負禁止)にあたるのではといわれる場合があり、自分のところに優遇している、自己の団体に有利になるようにしているというお声もお聞きしますが、実は逆で、データ的には議員になってこういった丹波篠山市からの請負は大幅に減っています。

 決して、その地位を利用して当該団体の契約締結に有利になるように動いてはいません。

 ただ、丹波篠山市からの請負も確かに今もあり、こうやって公開しています。

 1回 総額5,000円で職員3名配置、時間にして1時間半 ほぼボランティアです。

 また年間通して計算しても、全体の収益の1%にも満たさないボランティア事業です。

また、個人で受けている教員についても、フルタイムではなく時間配置です。

〇議員と兼業禁止の規定に定める代表の意義の中で、議員と会計年度任用職員の兼務の可否があります。

 →常勤職員はだめですが、パートタイムは入っていないため兼務可能です。

 現在、小学校・中学校・高校と時間教員で教えていますが、これも法人の収益としており、個人として受け取ってはいません。

 こんな形でご理解いただけるでしょうか?

 

市や県からの講演依頼

うちの法人はたくさんの講演や遊び教室の依頼を受けます。

議員になる前は個人で受けておりましたが、今は法人として、チームとして受託しています。

これだけたくさんの受託はあまりないと思います。

具体的な講師依頼は・・・

 -令和6年6月9日現在9月末までの分(丹波篠山市・丹波市・朝来市・三田市・福知山市等)ー

・幼稚園の運動遊び教室、その後先生たちへの理論の説明(年5回)

・0歳児の親子遊び教室(2件依頼)

・1歳児の親子遊び教室(2件依頼)

・2歳児の親子遊び教室(3件依頼)

・未就学(2-5歳)の子のための親子遊び教室(4件依頼)

・小学校親子遊び教室(PTAの依頼) 1件

・地区の特別支援学級や特別支援学校の運動遊び教室(2地区)

・講演会の依頼、法人のスタッフが行うもの 現在6講演依頼中

・講演会事業 外部講師うを依頼して法人が主催のもの 1回(9月14日)

・生活訓練事業 機能訓練やレクリーション事業の依頼 年16回(7月から)

・パラスポーツ(旧障がい者スポーツ)教室や支援 年12回

 現在9月末まででこのくらいあります。

  なかなかの依頼ではないでしょうか?

  地域の子育て・発育発達に関して、かなり地域に浸透したことができていると思います。

  その分、うちの法人もしっかりと内部研修を行って、地域に貢献できるように頑張っています。

  そんな中、桐村個人として県から受託しているものも1件だけあります。

  あくまで月2時間だけです、本当は週1でガッツリの依頼でしたが、議員の請負の規定があるため、最低限のみの教室として以前から受けています。(丹波篠山市外の分です)

  時間講師としてできることもしっかりやっていきます。

  

ボランティアと本人の能力(子どもの未来のために)

日本と海外では、ボランティアに対する考え方や文化にいくつかの違いが見られます。

1. 動機と目的

  • 日本: 「世のため人のため」「困っている人を助ける」という倫理観や使命感に突き動かされる傾向が強いと言われます。無償奉仕という側面が強調され、「自己犠牲」のイメージを持たれることもあります。
  • 海外(特に欧米): 「自分がしたいから」という自発的な動機が重視されます。もちろん社会貢献の意識はありますが、同時に「自分のスキルを活かしたい」「新たなスキルを身につけて将来に活かしたい」といった自己充実の動機も高い傾向にあります。プロボノ(専門知識やスキルを活かしたボランティア)も活発です。

2. ボランティア活動の捉え方

  • 日本: 比較的に福祉分野や災害支援など、困っている人への直接的な援助活動がイメージされやすいです。ボランティアが「特別な行為」と捉えられる傾向もあります。
  • 海外: より広範な活動がボランティアとして認識されています。例えば、地域コミュニティのイベント運営、環境保護、文化活動、教育支援など、多岐にわたります。また、ボランティアが日常生活の一部として、ごく自然に行われるものという認識が強いです。

3. 参加率と社会的位置づけ

  • 日本: 定期的にボランティアに参加している人の割合は、欧米諸国と比較して低い傾向にあります。ボランタリーセクターが未だ発展途上という見方もあります。
  • 海外(特に欧米): ボランティア活動への参加意識が高く、国民の参加率も日本より高い傾向にあります。社会的な活動がボランティアに委ねられている側面も大きく、ボランティアが社会を支える重要な柱の一つとして認識されています。

4. 「親切」や「援助」に対する考え方

  • 日本: 困っているように見える人がいたら、頼まれなくても自ら手を差し伸べる傾向があります。
  • 海外(特に欧米): よほど親しい関係でない限り、困っているように見える人がいても、まずは見守る姿勢が強いです。助けを求められてはじめて行動を起こすことが多いですが、一度関わると問題解決まで親身にサポートする傾向が見られます。

5. 報酬・謝礼への考え方

  • 日本: ボランティアは「無償」であることが前提とされがちです。交通費や少額の補助があっても「有償ボランティア」として区別されることもあります。
  • 海外: 報酬を目的としないという点は共通していますが、交通費や食事、制服などの補助が出ることは一般的であり、それがボランティアの範疇とされています。

これらの違いは、それぞれの国の歴史、文化、社会制度、教育などが複雑に絡み合って形成されてきたものです。近年、日本でもボランティアの多様化や、自己充実の側面を重視する動きも見られますが、上記のような状態です。

もう一つ大切なことがあります。

それは謝礼の分となります。これが世の中の専門職の賃金を抑えている場合もあります。

例えば、有名な音楽家がおり、その方に地域の方が簡単な作曲を依頼しました。

地域のことなので音楽家は喜んで創りましたが、地域の方はお菓子のみで謝礼は渡しませんでした。

この間違ったやりとりはよくある話です。

地域の方は「お金浮いた」とか「無料でラッキーやった」という見解でしょうが、音楽家の技術は基本有料なわけです。音楽家は海外に留学などをしてたくさんのお金を使って今の立場にいるはずで、何もせずに今の立場にはなっていません。

最初に「〇〇しか払えませんが、地域ということで格安でお願いできませんか?」ならOKだと思います。このボランティアを受けるか受けないかは、本人次第だと思います。

私も地域の運動教室をよくお願いされたりしますが、地域から無償でいいですか?とか、ボランティアでお願いできますか?言われるときもあります。 

 (議員になる前の話です、議員になってからは基本個人ではうけません)

そういった場合は基本説明したうえでお断りしますが、「へー、お高く留まってらっしゃるわ!」と嫌味を言われる場合もあります。

あれれ?おかしくないですか?

運動教室希望!でネット検索すれば、一定の金額が必ず必要になります。

近所だから無料?

地域やから無料のボランティアでやってくれよ!

少しこの考え方は間違っていると思います。もちろん1パートくらいならボランティアでやってもいいですが、丸投げが多く、それでは受けることはできません。

私も海外留学やスポーツ指導者の資格をとるために何百万と使っています。お金の問題ではなく気持ちの問題でもなく、価値の課題なので「本当は〇〇支払うべきなのですが、〇〇くらいで何とか助けてくれませんか?」と言われれば1回はボランティアとして受けます。2回目以降は1回目の内容を見ていただいてから金額は判断していただいたら、それに対してお受けしたりできます。しかし「〇から聞きました、地域貢献ですごいことやってくれるんでしょ?」と言われれば、まだ現役世代であるためお断りするということです。

少年・少女を指導や支援するスポーツ指導者も、ある一定の金額を頂いて、きちんと子どもたちの身体のことを理解する研修や勉強が必要です。そのためのお金が必要です。私も単に競技を教えるのではなく、その前段階の発育発達の勉強はかなり行ってきました。

この発育発達の理論がきちんと理解できていないと、中学生までは身体を壊してしまいます。

子どもたちの身体や発達状態は千差万別

個々の対応のための技術や理解が必要であり、無理解の大人が子どもの可能性をつぶしている事例をたくさん見ます。

私がドイツに留学していた時に見た地域のスポーツ指導者の現状は、必ず数か月のこどもの身体の発達のための研修会が義務付けられており、だれでもボランティアで子どもに運動を教えることができるのではなく、きちんと地域で子どもを育てていくんだ!ということが国・県(州)・市で制度化していました。

この内容は6月の水無月会議の部活動の地域移行化の部分でも問う部分ではあります。

学校の先生OBだから運動発達的観点がしっかりしているというわけではありません。単に競技的に子どもを引っ張っていく力が優れているだけで、運動発達は苦手かもしれません。

話はそれましたが、無料だから何してもいいではなく、子どもの発達や成長は地域がしっかりと支援していく必要があり、少子化の今こそ、子どもを地域で育てていく必要があります。

さらに余談ですが、体育嫌いは学校の問題です。本人の問題ではありません。

そういった課題をしっかりと市内全域に広げていきたいと思っています。

もちろん、議会も変えていきますから!

【困っているけど理解されない】

うちの法人は月1回、自分たちで考えて研修を行います。

その中で、今回は丹波篠山市東部の一部の方のために草刈りボランティアをしました。

なぜそれをしたのか?そういった投稿となります。

今回は「困っているけど理解されない人」に関する投稿です。

いろんな意味で地域活動ができない人がいます。

車いすに乗っているなどは見てわかるため、ある一定の理解はありますが、見た目が普通である精神疾患の方々は、地域の理解が得られない場合がたくさんあります。

一昔前の話をします。

この話は今から15年以上前の話です。

私が尼崎市立身体障がい者福祉センターで、主任体育指導員兼主任相談員兼自立訓練の責任者をしていた頃のお話です。

精神疾患の方々の理解が、今は比較的ありますが(もちろんまだまだです・・・一定という意味です)、理化されなかった時期。

会社でうつ病になると、会社を休みながら投薬治療等を受けます。

そうしながら少し良くなってくると運動療法も+されていきます。

適度な運動は脳内の神経伝達物質(セロトニンやドーパミンなど)を調整し、気分を安定させるのに役立ちます。さらに、運動はストレスを軽減し、睡眠の質を向上させるため、心の健康にとって大きなメリットがあります。

ウォーキングやジョギング、ヨガ、筋トレなどは、うつ症状の改善に役立つとされています。特に屋外での運動は、自然の中でリラックスでき、気持ちを前向きにする効果が期待できます。そういう意味で、運動をしていかれますが、ここでのポイントは楽しくワクワクするかが、神経伝達物質の量に比例していきます。

しかし、当時は同僚がそれを見ると遊んでいる!という認識があり、なかなか自由に遊べない状態がありました。

今は少しマシにはなっていますが、このような状態が地域であった場合

「あの人うろうろしてるけど、地域のことはしない」などとなってしまいます。

また高齢者の方には、「わしらの時代は我慢したんじゃ、もっと我慢しろ!」と仰る方もいます。

先日、市長も「勉強ができるのに、なんで働けないのか?」という発言もされていると伺いました。(ちなみにこの市長へ相談に行かれた精神のご病気を患っておられる方は、中学・高校は90点以下をほとんどとっていないそうです)

精神の病気は簡単に理解できるものではなく、根性論でもどうにかなるものでありません。

なぜ、このように精神疾患の方々に配慮するようになったかは別の機会に書きますが、どうしても普通(そもそも普通の基準が日本は間違っています)のことができない人がいます。

走ること、投げること、飛ぶこと、これができないことがやっとここ最近発達障がいだと認識されるようになりました。

発達性運動強調障がいというものもあります。

発達性協調運動障がい(DCD)は、子どもの運動機能に影響を及ぼす神経発達障がいの一種です。DCDの子どもは、歩く、走る、ジャンプするなどの基本的な運動が苦手で、動作がぎこちなく見えることがあります。また、鉛筆を持つ、ボタンを留める、靴紐を結ぶなどの細かな動作も難しく、学習や日常生活に影響を及ぼすことがあります

大人になっても車の運転が苦手であったり、うまく動けないことがあったりします。

もちろん草刈り機なんて到底使うこともできません。

しかし周りからは普通に見えます。

そうすると周りから差別が生まれだしてしまいます。

私はこういった無理解をなくすために議員になっています。

町の発展、少子化の問題と教育の問題と並行して、一人でも丹波篠山で済みやすいようにしていくのが、私の役目だと思っています。

2025水無月会議が始まって・・・

6月に入り、議員になって2年目の本会議が始まりました。

正直、1年目は何もわからず、すべてが初めてで体調を崩したり、頓珍漢な質問をしたり

質問をしないといけないところでしなかったり、たくさんの方にご迷惑をおかけしました。

議会というちょっと変わった世界でのいろんな出来事

こちらの見る目線や、周りの見る目線が大きく変わることもありましたが

基本は自分は自分・・・

弱い立場の人に少しでも力になること、しっかり小さな声を拾うこと。

私自身がたくさん助けてもらいました。

尼崎で働いていた時は渦中の丸尾議員や引退された議員さん方。

当時、丸尾議員はまだ市議会議員でした。

丸尾議員とはファミレスでいろんな話をしたことが今も思い出されます。

となりの市の前市議会議員である前川さんにもずいぶんお世話になりました。

議員というのは、弱い立場の人をいかに市が目を向けるようにするか?

弱い立場の人の声は行政にはなかなか届きません。それをいかに届けるか?

また集団的な風潮の中で、1人が放り出されないようにすることも大切だと思っています。

もちろん、行政のお金の使い方や、市の方向性を考えることも大切です。

その中で、市の農業や商業、まちづくりや観光、そうして教育や福祉

私のパートは教育と福祉であり、そこから市内全体のまちづくりへとつなげていきます。

今回の新たに入った議員の中には、農業に特化した人、DXに特化した人、人権に特化した人など、私が専門とする教育と福祉以外に専門の方々がたくさんおり、そういった専門分野を活かして、丹波篠山市をより良いものへとしていきたいと考えています。

そのためには皆さんの意見や思いが必要です。

なんでもお伺いしますので、遠慮なくお申し付けください!