違うままで、同じまちにいられる。

まちの中で、音楽をかけながら、一心に踊っている女性を見かけることがあります。

私は通りかかると、
「こんにちは」
と声をかけたり、手を振ったりします。

すると、とても素敵な笑顔で、手を振り返してくれます。

私のところの建物の前で踊っている時には、

「ここなら大丈夫やで。踊ったらいいよ」

と伝えています。

音楽を聴いて、身体を動かす。

それがその人にとって楽しい時間なのかもしれないし、心を落ち着かせる時間なのかもしれません。

その理由を、私たちがすべて理解する必要はないと思っています。

ただ、まちの中では時々、冷たい視線を向けられたり、心配されて警察に連絡されたりすることもあるようです。

もちろん、大きな交差点では交通の安全があります。

歩行者や車の通行を妨げるようなことがあれば、安全を守るための対応は必要です。

だから私は、何でも自由でいいと言いたいわけではありません。

でも、ここで少し考えたいのです。

「危険だからやめてもらう」のと、「自分たちと違うから遠ざける」のは、同じではありません。

見慣れない行動をしている。

みんなと違うことをしている。

それだけで、私たちはいつの間にか、

「変わった人だ」
「怖いな」
「ここにいない方がいい」

と感じてしまうことがあります。

でも、本当にそうでしょうか。

踊る人がいてもいい。

歌う人がいてもいい。

一人で笑っている人がいてもいい。

少し人とは違う時間の過ごし方をする人がいてもいい。

誰かに危害を加えているわけでもなく、周囲の安全を脅かしているわけでもないのなら、

「今日も楽しそうに踊っているな」

そう思って通り過ぎられるくらいの地域であってもいいのではないでしょうか。

私は、「共生社会」という言葉をよく耳にします。

でも共生社会とは、みんなが同じように振る舞える社会ではないと思います。

むしろ、違う人が、違うままで、同じ地域の中にいられること。

それが共生なのではないでしょうか。

制度を整えることも大切です。

相談窓口をつくることも、福祉サービスを充実させることも必要です。

でも、そのもっと手前にあるものがあります。

目の前にいる人を、

「ちょっと変わっているから」

というだけで排除しないこと。

声をかけてみること。

手を振ってみること。

そして、「ここにいてもいいよ」と伝えられること。

私は市議会議員である以前に、このまちで暮らす一人の市民として、

そんな地域であってほしいと思っています。

今日も彼女に手を振り「素敵な踊りですね。」と声をかけました。

すると、いつものように頷きながら満面の笑顔で手を振り返してくれました。

それを見て思いました。

もしかすると、地域共生というのは難しい言葉ではなく、

誰かの笑顔に、こちらも笑顔を返すことから始まるのかもしれません。