亡き母の大切にしていた言葉・・・

「罪を憎んで人を憎まず」の意味

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉は
 単なる表層的な意味だけでなく、人間社会の複雑さや、倫理、道徳、さらには法的な側面
 にも深く関わる教えです。

1. 人間性の理解と区別

この言葉の根底にあるのは、人間は不完全な存在であり、誰もが過ちを犯しうるという深い洞察です。罪を犯した人であっても、その人自身の存在価値や尊厳を否定するのではなく、その人が行った「行為」と「存在」を明確に区別します。

・行為としての「罪」
 許されない、あるいは改善されるべき明確な悪や間違い。これは厳しく糾弾され、
 場合によっては法的に裁かれるべきものです。
・存在としての「人」
 その行為を行った主体であり、感情や理性、そして更生の可能性を秘めた個人。
 その人自身の価値は、一つの罪によって完全に失われるものではないという考え方です。  
 この区別がなければ、社会は過ちを犯した者を徹底的に排除する方向に進み、復帰の機会 
 を奪いかねません。

2. 許しと更生の機会

 この言葉は、単に「憎むな」という消極的な意味合いに留まりません。むしろ、過ちを犯 
 した者への許しや、更生の機会を与えることの重要性を示唆しています。
・復讐心からの脱却
  罪を憎まず人を憎む態度は、往々にして復讐心や憎悪の連鎖を生み出します。この言葉
  は、そうした負の感情に囚われることなく、より建設的な解決策を模索することの必要
  性を説いています。 
・社会復帰の促進
  罪を犯した人が社会に戻るためには、周囲の理解や支援が不可欠です。罪だけを憎み、人
  を憎まない姿勢は、彼らが過去の過ちから学び、再び社会の一員として貢献できる道を
  開く可能性を秘めています。
  もちろん、これは無条件に全てを許すというわけではありません。罪の重さや、被害者
  の感情、社会の安全といった要素も考慮に入れる必要があります。しかし、根本的なス
  タンスとして、最終的な目標は個人の排除ではなく、問題の解決と個人の更生にあると
  いう視点を提供してくれます。

3. 法と倫理の狭間で
 この言葉は、法的な側面と倫理的な側面の双方に影響を与えます。
・法廷での適用: 裁判において、犯罪者を裁く際には、罪の重さを量ると同時に、その人
  の背景や更生の可能性が考慮されることがあります。これは、「罪を憎んで人を憎ま  
  ず」の精神が反映されていると言えるでしょう。 
・個人の道徳観: 日常生活においても、他人が過ちを犯した際に、その行為自体は非難し
  つつも、相手の人格全体を否定しないという態度は、人間関係を円滑にし、より建設的
  な対話を生み出す基盤となります。

「罪を憎んで人を憎まず」は、感情的な側面だけでなく、理性的な判断と、より良い社会を築くための指針となる言葉です。

 それは、人間が持つ弱さと強さの両方を理解し、過ちを犯した者に対しても、最終的には

希望と再生の可能性を見出すことの重要性を教えてくれます。

私は常にどんな人でも信じてしまう傾向があり、もちろん何度も騙されてきました。

しかし母はいつも「罪を憎んで人を憎まず」と言い続けるのでした。

さらに「騙すより騙される人になりなさい」・・・

はい、あなたの思いは私の根底にあり、人の短所は見ず長所のみ見るようにしています。

そうすると人は伸びていくのです。

すごいことだと思います。

子どもたちもそうですが、長所を認める、それは簡単なようでむつかしいことです。

しかしそれで伸びていくことを実感すれば・・・それは本当の意味で素敵です。